四国の旅
       

十三年振りに親孝行を兼ね生まれ故郷の四国内子へ車で行ってきました。

平成十五年四月四日

AM5.15  自宅出発
AM5.56  一宮ジャンクション
AM7.00  多賀パーキング休憩
AM9.00  淡路島一宮通過
AM11.00 川之江通過
PM12.30 松山着
PM14.25 松山発
PM14.50 内子着
PM15.10 和田着


往路   名神高速→  中国道 → 山陽道 → 神戸淡路鳴門道 → 高松道→  松山道
復路   松山道 → 今治小松道→  しまなみ海道→  山陽道→  中国道 → 西名阪道→  東名阪道

 片道約615キロ

     多賀パーキングで朝食

     明石海峡大橋
明石海峡大橋は、神戸市垂水区舞子と淡路島の津名郡淡路町松帆の明石海峡に架かる吊橋で、昭和63年から現地工事にかかり、約10年の歳月を経て完成しました。
明石海峡大橋は中央支間長1,991m、さらに主塔の高さは海面上約300mとなり、共に世界一となっています

    大鳴門橋
うず潮が目を楽しませる景勝地・鳴門海峡に架かる橋。
昭和60年6月に道路鉄道併用橋(鉄道未開通)として開通。淡路島より鳴門海峡を経て鳴門市の一般国道11号に接続しています。吊橋(橋長1,629m)。


松山城

松山城の築城者は、賤ヶ岳の合戦で有名な七本槍の一人、加藤嘉明である。嘉明が25年(1602〜1627)の歳月をかけて築いた松山城は、勝山山頂に本丸・中腹に二ノ丸・山麓に三ノ丸を整備した広大な規模の城郭であった。
 また、門櫓・塀を多数備え、狭間(鉄砲・弓)や石落とし、高石垣などを巧に配した攻守の機能に優れた日本一の連立式平山城と言われている。

松山市立子規記念博物館


道後温泉本館(重要文化財)
 道後温泉は、日本書紀にも登場するわが国最古の温泉です。どっしりとした構えの本館上の振鷺閣(しんろかく)には、伝説の白鷺を据え、また、毎朝6時に太鼓の音で開館を告げるなど、歴史ある温泉情緒をかもしだしています。館内には「神(かみ)の湯」、「霊(たま)の湯」、漱石ゆかりの「坊っちゃんの間」や、さらに皇族専用浴室の「又新殿(ゆうしんでん)」などがあります。
 振鷺閣の太鼓は「刻太鼓(ときだいこ)」と呼ばれ、環境庁(当時)の残したい「日本の音風景100選」に選ばれています。
 また、夜になるとガス灯に火が灯され、朝や昼とはまた違った道後温泉本館の姿を見せてくれます。

  内子座
江戸末期から明治にかけて、和紙と木蝋で栄えた内子は、豊かな富の蓄積が、文化の殿堂”内子座”建設へと拍車をかけました。


”内子座”は、大正天皇即位を祝って大正5年(1916)に建設された本格的な歌舞伎劇場です。柿落としの興業は、「吉田伝治郎」の人形芝居でした。当時の人々の楽しみといえば、大阪歌舞伎とこの人形芝居で、弁当、酒、肴持参で見物に出かけたそうです
しかし、この人形芝居も活動写真が登場してくるにつれて次第に衰退していきました。大正末期頃からは、実写、滑稽、活劇などの活動写真全盛の時代に入り、内子座の他に、旭館(大正15年)、本町劇場(昭和20年)もできました。
内子座はその後、商工会館としても利用され、変遷をたどりましたが、昔ながらの風情を残して、ひっそりと雨風に耐えてきました。一時期、解体して駐車場にという意見も出て危うく消滅しかけましたが、修理の気運が高まり、昭和60年(1985)大正期そのままの姿によみがえり、県下に現存する唯一の芝居小屋となりました。現在では年間7万人を超える見学者があり、使用(興業等)も年間80回を超えています。




八日市・護国町並み保存センター
ここは、地域住む人たちが主役になって地域づくりを進め、町並み保存のこれからを楽しく考える場所です。 八日市・護国地区町並保存会の事務所を兼ね備え、各種会合を開いたり、建築の修理に関する相談窓口 にもなっています。また、保存地区の北玄関として町並み保存に関する資料を掲示し、同時に観光に関する インフォメーションも行っています。

 内子の旧家、芳我家
芳我一族は、初代芳我弥三右衛門が木ろうの「伊予式箱晒法」を発明して以来、その子孫が改良を重ね、富を蓄積して内子随一の名家となりました。

上芳我は、文久元年(1861)に本家の本芳我の二代目孝直が、妹の満智に養子を迎え、芳我の家督と金、晒場の三割を与えて分家させたもので、上手に位置したことから、こう呼ばれました。

 この上芳我家が建てられたのは、木ろうの隆盛時の明治二十七年(1894)のこと。家は、そこに生きた人々の暮らしやできごとを、ほう大な脈絡のからまりあいを見せながら語りかけてきます。ぜひ一度ご覧になってみて下さい。


帰路

しまなみ海道


1.尾道大橋・新尾道大橋
西瀬戸自動車道の本州側の起点・尾道と向島を結ぶ。橋長さは385m。昭和43年に開通した尾道大橋のすぐ西側に新尾道大橋(橋長546m)が平成11年に完成。平行して建設されるため、景観が調和する斜張橋が選ばれた。
2.因島大橋
      

海上交通の要衝・布刈瀬戸をまたいで、向島と因島を結ぶ橋。昭和58年に開通し、吊橋としは世界第25位の長さ1270mを誇る。上部が自動車道、下部が自転車歩行道という二重構造になっている。
3.生口橋
橋長790m、斜張橋の中では世界第9位の長さの生口橋。因島と生口橋を結び、平成3年に開通した。鋼製とコンクリート製の複合構造を持つ日本初の斜張橋でもある。支柱から斜めに伸びるケーブルが優美。
4.多々羅大橋
    
広島県生口島と愛媛県大三島を結ぶまさに県境の橋。橋長さ1480m。生口橋と同じファン型の斜張橋で、世界一の長さの斜張橋。
5.大三島橋
昭和54年、尾道・今治ルートで最初に完成した橋。白く弧を描くフォルムが美しいアーチ橋(ルート中唯一)で、橋長は328m。大三島と伯方島の間、急潮で名高い鼻栗瀬戸にかかっている。
6.伯方・大島大橋
見近島を間に伯方島よりの伯方橋(325m)、大島よりの大島大橋(840m)と2本の橋からなる。橋長さは合わせて1165m。伯方橋は桁橋、大島大橋は日本で初めて吊橋に橋桁を採用した橋梁。
7.来島大橋
大島と今治市の間を結ぶ世界初の3連吊橋。第一大橋960m、第二大橋1515m、第三大橋1570m、総延長は4.1km。海の難所・来島海峡だけに架橋には最新技術が駆使されている。